舞台『Equal』感想3 ルナ公演

今日も,舞台『Equal』行ってきました。(2015.7.6)
3回目。ルナ公演としては2回目。


1回目の感想
2回目の感想



3回観て,ようやく飲み込めました。
もやもやしていたり,わからないところはたくさんありますが,なんか「飲み込めた」という感じです。
1回目が衝撃,2回目は伏線の回収。3回目にもう一度全部を俯瞰観れた……とのかなあ。



以下,ネタバレ前提にポツポツと。(3回分感想がたまったので,いつかまとめるかも)


3回で飲み込めんでみて,私の中で「腑に落ちる」のは,
「ニコラ」が,本物のテオ
「テオ」は,7体目のホムンクルス
だなーなんて思いました。
※便宜上、「」付きが、舞台上で語られた名前、「」なしが、真実の名前としました。


つまり,作中で「ニコラ」が語っている通りの設定が,自分としては納得しやすいです。
(納得しやすいだけなので,それがどうしたって話なんですけど^^;)



もちろん,「2人ともホムンクルス」とか「実は,「テオ」こそが本物のテオ」という可能性もあるのですが。
そもそも,おそらく,多くの可能性を残すことが舞台のねらいなんだろうな。




ただ,自分としては,
「ニコラ」が,本物のテオ
「テオ」は,7体目のホムンクルス
「テオ」が「ニコラ」に,「マリエッタの笑顔が消えたのはウソ。いつも通りの笑顔だった。君はマリエッタを殺した。愛する人を殺したんだ」というのは,「テオ」なりの,「ニコラ」への復讐,というのが,1番しっくりきました。



「テオ」は,マリエッタを愛する記憶を植え付けられ,しかし,植え付けた本人に,その人を殺された。
「テオ」からしたら,こんな身勝手なことはない。生み出され,記憶を移植され,大切なものを理不尽に奪われ。
(そもそも,「テオ」の元となる人間も,テオに殺された可能性があるので,そう思うとさらにひどい)



その後,6日目と7日目の間に「あれからいろいろ考えたんだけど」と,「テオ」は一人で思考している。
だとすれば,その前日にもいろいろ考えていたんじゃないか。
その上で,「お前が,本物のテオだという証拠はどこにもない」とつきつけてやったんじゃないか。
そういう復讐なのかなと。
(腑に落ちるというか,単にこれが一番私の中で燃える! という設定とも言える)





そもそも,テオはなぜホムンクルスを作ろうとしたか。
ニコラ死去の前から作ろうとしていたわけではないらしい。
じゃあ,「自分が生き延びるため」? でも,そんな気もしない。
「〈死〉という不条理を断ち切るため」なのだろうか。




そういえば,ホムンクルスの制作過程が「まず40日腐敗させ」「その後,馬の子宮で40週」ということだから,
日数にして320日(45週)。だいたい1年で生まれる。



そうすると,単純に考えると,「7体目のテオができたのは,研究の始まりから7年後」となるわけですが,
ニコラが死んだのは5年前。
そうすると「ニコラが死ぬ前から研究を始めていた」もしくは,「一度に何体も制作していた」のかなと。



物語では「ニコラが死んでからおかしくなった」と言ってたと思うし,
さらには,「研究の効率化」を考えると,
「一度に何体も制作していた」という方をかなー。
そうなると,「8体目のテオ」「9体目のテオ」が,物語の裏側で育っているんじゃないか。
という想像もできて,ますますゾッとします。




そういう,ゾッとするところも含めて,本当に,惚れ惚れとした物語でした。







最後に生き残った「テオ」は,どこに行くんだろう。
殺人の罪で出頭するのか,
どこか知らない街で,再び研究を始めるのか,
それとも……




私は,生き残りも両バージョン観られたのですが,
どちらのテオであっても,扉を開ける彼には,なぜか希望を感じました。
あ,「前に進むんだな」と。
この辺りの解釈も人それぞれになりそうです。観たときの自分の環境でも変わりそう。




ただ,この舞台を観る前から,
私にとっての自己認識は「自分が何を選んでいくか」「自分がこれまで何を残してきたか」だなあと,感じているところもあって,
そういう意味では,最後に生き残った方が,もう一人を見つめ,そのあと,扉を開ける……というのは,
私にとってはすごく「自分で,自分を選んでいく」というラストシーン思えました。




いい舞台でした。